わたしは社会で運動的に仕事をしていくにあたって、政治的な運動には関わらないことを心決めしていたが、1970年代の政治テーゼである「公然から非公然への誤りを犯してはならない」には感じるものがあった。わたしは一兵士として、身を挺したいと願っていたからだ。映像という文化的な、表現の世界に関わりながら、こうした無名性を求めることは、それ自体が矛盾をもつともいえるが、人間社会そのものが矛盾で成り立っていることを考えれば、たいしたことではない。どちらかというと、そうした矛盾そのものを生きることが、運動だともいえる。《原田健一》
※対談は入場無料